自動車産業に貢献したボレー家の人々

ルマン市内には、L'avenue Bollée, ボレー大通りがあり、市民にとって馴染み深い名前です。ルマン市は自動車発祥地のひとつで、それに貢献したのが、ボレー家の人々です。
(父のアメデ、その長男アメデ、次男レオン)
父アメデは、蒸気という新しい力で動く革命的なマシーンを開発しました。そのあとを継いだ長男アメデは1875年には、12人の旅客を運ぶことがでる巨大な蒸気自動車(L'Obéissante オベイサント)を完成させましたが、時代はガソリンエンジン車に向かっていました。1896年になって、長男アメデは、排気量2.3リッターの2気筒ガソリンエンジンを載せる自動車を設計しました。
ボレー家の中でも一番知られている次男のレオンは、自動車を手がける以前にパリ万国博覧会(1889年)に自分の発明した計算機を出品して、すぐれた技術的才能を表しました。来仏していたアメリカ人の発明家エジソンにアメリカでの仕事に勧誘されましたが、それを断り自動車製作を始めました。ライン生産を初めて工夫し3輪自動車(前2輪・後1輪で縦並び2人乗り)を製作しました。レオンの名は、有名なアメリカ人、ウィルバーライトと切りはなせません。、来仏したライト兄弟をルマンに招待し、1908年には、レオンのお陰でヨーロッパ大陸はルマンで初のテスト飛行を行っています。

祖父アーネスト・シルヴァン ボレー(息子3人 アメデ/アーネスト・ジュル/オーギュスト)は、鐘の鋳造業者で、一つの釣り鐘は、長崎に輸出された記録があります。アーネスト・シルヴァンは、鋳造のかたわら新しい技術に興味をもち、水を引き上げる水撃ポンプや風力ポンプを開発し、息子たちにそれぞれ仕事を継がせています。
アメデ;鋳造と自動車
アーネストジュル;水撃ポンプ
オーギュスト;風力ポンプ

資料:Le magazine d’informations municipales(Le Mans)
www.lexpresse.fr/rejion/
http://ninada.blog.fc2.com/blog-entry-47.html

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