旧市街見学 

カエサルのガリア征服によって、この地セノマンも紀元前57年にローマ軍に侵略されました。その
名残は、サルト川の川岸を散歩すれば、目に入ってくる城壁です。3世紀に建設されたローマ建築の
城壁は、本格的な基盤もなく1700年もの間、立ち尽くしています。12の塔と門が一つ残っており、
フランス唯一の遺跡です。      
Ovniの2015/03/16号(実)さんが、歴史を語っています。必見!
【特集】旧市街の隅々で石たちの語るルマン
Le MansLe Mans Mur romain

プランタジェネ地区(ル・ヴュー・マンLe vieux mans) は町中にある旧市街。11〜15世紀に建て
られたサン・ジュリアン大聖堂(La cathedrale St Julien)を中心とした旧市街は中世の面影を残して
います。住宅と思しき建造物には、文化財指定のマークがあちこちに見られ、当時の姿を維持しようと
する努力が見られます。
Cathédrale P1040901Cathédrale P1010749

古い建物が立並ぶ石畳の道は、ジェラール・ドパルデューの主演した「シラノ・ド・ベルジュラック」など、数々の中世を舞台にした映画のロケとしても 使われています。 
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Fiche Cyrano Fiche MoliéreFiche Le Mans

プランタジェネ王朝
“イ ギリスの封建制度は、ノルマン王朝を開いた.ウイリアム一世の時から、異例とも言えるほど他国に比べ王権が強かった.12世紀の半ばに、血統の関係によ り、フランスから入って王位についたプランタジェネ家は、フランスにも広い領土を持って勢力が非常に大きかった。” (日本の高校世界史の教科書)

この王室があった都が、実は、このさくら友好協会があるルマン市なのです。特に旧市街は、歴史がある美しい町です。

ルマン市ガイドブックから…
1128年、ルマン市の中心街にあるサンジュリアン大聖堂で、ジョフォア五世とイングランド王ヘンリー一世の娘,マチルドが結婚したことで、プランタジェネ王朝の歴史の始まった。この地、ル・メ ンヌは、アンジュー伯領であった。プランタジェネという名は、 伝説によれば、ジョフォアが、都に近い荒野での狩猟を好み、花咲いたエニシダ(ジェネ)の小枝を帽子に飾っていたことで、ルマンの人々がイングランドを治 めようとする王家に、与えた名であった。
1790年以来、 ルマン市役所として利用されている建物は、当時の面影が外壁と窓しか残存していないが、ジョフォアとその子、プランタジェネ朝第一代イン グランド王となる、アンリ二世がここで誕生した。 また、第二代イングランド王リシャー獅子王の妻、ベランジェール王妃は、王の死後、長い未亡人生活をこの館で過ごした。
La mairie du Mans P1050637P1010747.jpg
ルマン市市役所(Hôtel de ville)の正面と裏面
アンリ二世が誕生した部屋は、現在市長室として使われているあたりだといわれています。

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